ザックひとつで自然に溶けこむ。私のキャンプの楽しみ方
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日本の四季とキャンプ
春夏秋冬、日本ではどんな季節にも味わいがある。そんな四季を感じながら風光明媚(山紫水明?)なキャンプが楽しめるのは、私たちの住む日本の特権と言っても過言ではない。
ところで、皆さんは四季のいつがキャンプのハイシーズンと考えるだろうか。
私にとってのハイシーズンは、ズバリ「ない」。
逆を言うと四季折々のキャンプをいつでも楽しんでいる。夏は河原や湖畔で身体を冷やし、冬は焚火や薪ストーブで暖を取る。また日本の山々は各地さまざまな表情を持っている。春から夏には緑が生い茂り、秋には紅葉から褐色の木々。
デメリットを言うと、夏は暑く虫が出る。冬は寒くて凍える思いをする。では秋や春は? 花粉が飛ぶ。家の中にいればそんな不快な思いをすることはまずないだろう。
何故わざわざアウトドアなのか? あえて不便をしに行く。不便だからこそ日常のありがたみを更に感じることができる。便利な世の中で忘れ去られた感情や不要となった知識、技術。キャンプはそれらを思い出させてくれる。
日本は小さい、されど広い。
いまだに冒険家などの写真を見ては、「こんな表情見たことないぞ」と思う自然が数知れずある。
自分のルーツはカナダでの体験
約20年前、北米大陸カナダに住んでいた私は、学校の授業でキャンプと出会った。
そのキャンプとは、サバイバルに近いようなもので、10kmほどの山道をハイキングした後、名もなき湖などを見つけてキャンプ地とする。野草やカエル、魚などを食料としていた。水、食料はほぼ現地調達だった。食に有りつけたときは言葉には言い表せない感情で涙が溢れることがあった。椅子、テーブルももちろんなく、朽ちた大木に腰をかけ休息をとった。
自然の中では、ヘラジカやグリズリー・ベアーと遭遇することもあり、身の危険を感じることもしばしばあった。危険はあるものの、自然との調和、一体感に、動物本来の生存本能を駆り立てられる。また自然にたたずむことで自分自身がどんなに小っぽけな存在なのかを目の当たりにする。
何故か、心が晴れた気分になる。
大地のぬくもり、木々のざわめき、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、炎のゆらめきを全身に浴びることで心が洗われた感覚である。これが、私のキャンプの原点だ。
ブッシュクラフトを目指すキャンプスタイル
そんな体験があるためか、日本のキャンプ場にはとても安全と平和を感じる。キャンプ場の中、テントの横にクルマを停めることもできる。道中にはスーパーマーケットがあり、精肉も買える。最近では“電源サイト”というものもあり、家電を使うことも容易だ。野生動物が山から降りてくることはめったにない。
私のキャンプスタイルといえば、ジムニーとザックで行くキャンプ。キャンプギア(キャンプ道具)はザックに入る限り。
「ザック」、それはリュック・サックやナップ・ザック、バック・パックの総称である。Frost River: IsleRoyal Bush Craftと名付けられたこのザックは、主にブッシュクラフトでの生活を楽しむ人に向けたものである。
ブッシュクラフトとは、簡単にいうとテントも椅子も持たず現地で全てを創り出すスタイルのキャンプである。切る、削る、つなげるを駆使してシェルター(テントの代わり)、イス、テーブルなどを創り自然との一体化を図る。私の本来目指すスタイルである。
ただ、ブッシュクラフトには時間を要する。過去の経験からも1週間ほどのキャンプだと可能だが、1~2泊しかできないサラリーマンには時間がない。なので私はこの中に、テント、寝袋、クッカー、アルコールストーブ、ナイフ、斧、ランタンーーそう、ザックには、生活が詰め込まれている。
自由に、心の向くままに自然を楽しむ
自然の中に佇んでいると、自分自身の小ささを痛感する。その瞬間、前日まで抱えてきたストレスや悩みが、スーっと流れていく感覚になる。何を悩んでいたのかと。形にはない、言葉で説明もできないそれに心を洗われる。
キャンプ生活の最も大きな醍醐味だ。気分も爽快になり、また月曜日からの仕事に活力が湧いてくる。
キャンプは自由。まさに千差万別、十人十色。キャンプはこうでなければならないというルールがない。スポーツでもないので上手い下手もない。誰にでもできる行楽。昨今のキャンプブームも老若男女問わず楽しめるというのが、一番の流行りの理由なのではないだろうか。
ザックで行く私のキャンプ。これも一つのキャンプの例である。
文・写真/タイラー